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たっぷりと蜂蜜を垂らしたスコーンをゆっくりと齧る。口中に広がった濃密な甘さを噛み締め、破顔する。
湯気の立つカップを持ち上げ、香り高い紅茶を一口飲む。温かな液体が身体を中からぬくめる。
「はあ……」
至福の時間に深々と吐息を漏らした。
美味しいお菓子に上質な紅茶。それをゆったりと味わう静かな一時。これ以上の贅沢があるだろうか……
ふと蝋燭の炎が揺らめき、どこからか執事のような男が現れた。
「我が主。そろそろお時間で御座います」
早くも至福の時間は終りを告げたようだ。
嘆息しながら立ち上がり、窓辺へと歩み寄る。テラスへ出ると歪な月が中天に掛っていた。
「今夜は冷えますので……」
肩に掛けられた漆黒のマントをしっかりと身体に巻き付け、テラスの手摺の上に立つ。
「お気を付けて……」
「行って来る」
男の言葉に鷹揚に頷くと、無造作に一歩踏み出した。
落ちる。と、思う間もなく次の一歩を……
黒ずくめのその身は重力など意に介さず、中空を優雅に渡って行く。やがて闇に溶けるように、その姿は見えなくなった。
「お帰りをお待ちしております。我が主」
従者の声に起されたのか、どこかで烏が一声鳴いた。
了。
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