『日常』のパラドックス ~上~

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現実逃避の妄想が加速していたせいか何を言っているか分からない。ただその言葉と同時に全身に寒気が走る。両腕で体を抱きしめ辺りを見回す。   何度も目にしたモノクロの世界。だが先ほどとは何か違う。『見られている』、そこら中から。その視線が無機質なようで、意味も分からず体が震えだす。   『丁度いいか、汝に試験だ。……生き抜いて見せろ新藤美玖。それが《世界》の意思でもある』   「は? え? ちょ、ちょっと!!」   『《殻》は、破らなければならないのだ』   一方的に恐怖を与え、一方的に話して、そして一方的に欲情した声の主は不穏な言葉を残して消えた。そう『消えた』美玖は確かにそう感じた。今まで自分の中にあった。不可解な感覚が無くなった。それと同じく声も聞こえなくなった。だから美玖は『消えた』と判断した。   「何なのよ、一体……」   例え意味不明であって人間でなくても、お化けであったとしても一人よりは心強いのだ。(お化けの場合は自分の味方であるということが絶対条件ではあるが)一人というのは誰にも頼ることが出来ず、全て起こり得る『結末』を、自分ひとりで背負わなくてはいけないのだから。     ――例えそれが命であっても。     空気が変わった。先ほどまでの漠然としたものではなく。肌を刺すような冷たい空気。背筋に走る冷たい感覚。美玖は今まで生きてきて感じたことも無い感覚に戸惑いを隠せない。   「何なの? 今度は何なのよう」   もう、何時泣き出してもおかしくないほど美玖は焦燥していた。確かに、今は冬の息吹を感じる季節。少々薄着であることは認めるが、そこまでは寒くは無かったのに。   目尻に涙を溜めた瞳が忙しなく動き辺りを見回す。   ―――すると、一つの人影を捕らえた。   「……助かった」   本心からの言葉。心の奥底から開放されるような安堵感が美玖を占める。もう今日のことは忘れよう。今はとりあえずこの色の無い世界から脱出して、家に帰って少し眠ろう。夕飯は手ごろなものでいい。どうせ一人なのだ。または食べなくてもいい。   今は少しでも心を落ち着けたい。そんな一身で走り出した美玖の足は、やがて速度を落とし、ゆっくりと止まる。   どうして、人影なのだろう? 違う言葉が足りない。どうして人影の『まま』なのだろう?  
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