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遠目に見たときは、ただぼんやりと人の形をしたものだったから走り出した。それがどんどん近づくにつれ輪郭も、着着ている物も、または身長の高さから男か女かまで分かるはずなのに。『それ』はただ黒いままで、ぼやけた輪郭が距離感を奪い。黒いシャツでも着ているかと思えば、ただ体全体が炎のように揺らめいた黒。
身長も美玖より高い程度で、美玖もそれほど身長が高いほうでもないが、それ以上のことが分からない。
なにより目の前の『それ』が男なのか女なのか分からない。それだけじゃない。目の前に迫る『それ』が前を向いているのか、後ろなのかも分からない。
―――人としての特徴、『顔』がないからだ。
「あ、あああぁ……」
歓喜の心がか細くなる声に潰される。安堵感がまた恐怖に摩り替わる。美玖は、その黒い人型との縮めた距離を開こうと後ろへ後ろへと後ずさる。
先のように走り出すことが出来ない。顔は無いのに目が合っているような、まるですごい形相で睨まれているような。蛇に睨まれた蛙とはこのことだろうか。とにかく、目が離せない。距離を開けようとするも黒い人型の一歩が美玖のすり足よりも大きい。一歩、また一歩距離が縮まる。
その怯える美玖の瞳に、またも絶望は突きつけられる。視界の一番右端、なんとなく捉えた一部が目の前のものと良く似ていた。認めたくない、だが本能的に視界を少し右にずらしてしまった。同じだった目の前にいるそれと同じ黒い人型。それがもう一体いる。
その事実を受け入れたくなくて、視界を戻す。が、今度はそこにいたはずの黒い人型がもう一体に増えている。
最悪だ、最悪の悪夢だ。
「う、うわぁぁぁぁぁああ、あっ!?」
自分の取り巻く現状を認めたくなくて、美玖は恐怖を叫び声に潰させて振り返り走り出そうとした。勢いをつけた一歩目は、二歩目で更なる地獄に落ちた。
美玖の後ろには更に三体もの、黒い人型が佇んでいたのだ。
……もう、駄目だった。
恐怖により潰れた心が、足の力を奪い去ってしまった。重力に引かれゆっくりと腰を下ろす美玖。それは待ちに待った映画を最前列で見るために腰を下ろす動作に思えた。ただしここでの映画の入場料は自らの命であるとは思いもしない。
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