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俺が今までよくやられた事がコレだ。
『他人の不幸な体験談から得た物差し』で図られる事。
例えば『アイツはな産まれた時から親がいなくて不幸な人生だった。だがアイツは頑張って努力して社長になった』
大体こんな感じ。
メディアに取り上げられた話なんて最高の成功例だ。
一般的に頑張ってる奴が聞いても比べんな的な話だよ。
てか自分が経験した話じゃない以上ハッキリ言って信憑性も説得力もありゃしない。
他人の物差しなんて使うもんじゃないし話を簡単に終わらせる手段に過ぎない。
学校で使われるデカイ三角定規でテストに書いてある線を図るくらい無謀な図りかただ。
他人の体験談なんて誰でも話せるし説得力なんて皆無という事に気づかない。
体験者からのアドバイスなら幾等でも聞くが他人の物差しは起承転結の起と結しか無い。こんな話になんの意味がある?
比べられてるとしか思えない。
てか何を思って何を狙いにしてその話をしたのか………そんな時俺はその人間の人間性を疑う。
まぁヤル気を出させる為だろうが果たして逆に他人の体験談を話されて人間は奮起するのだろうか?
俺は聞いてみた。
『貴方より不幸な家庭で努力して貴方より立派になった検事はいますけど……そんな物差しで話されて……よし!頑張ろう!みたいにヤル気でます?』
『私は私なりにちゃんと努力しましたよ。貴方はどうなんですか?』
………ふーん。
ようは形式ですか。
取り合えず話しておけば間違い無いみたいな簡単な押し付けアドバイスね。
底が知れるし口が腐る。
俺の持論はこうだ。
『努力が結果として出る事もあるがその結果の評価をしてくれるのは学校だけであり人間関係や親子関係の結果について周りの評価なんて無い。人間関係なんて互いの相互理解がないと状況なんて変わらない。相互理解に至るまでに解決し難い借金や腹違い等の問題があるなら結果なんて高確率で悪性に変わる。』
だから傘井刑事は血の繋がりは汚いと言ったのだ。切っても切れない関係だからこそ人間は責任を擦り付けあう。
人間関係なんてどっちかが放棄した時点で話は終わる。
母は母親を放棄し父は俺を放棄した。
努力なんて意味を成さなかった。
母は蒸発。
父にとって俺は子じゃない。
それが結果だ。
努力したら俺を産まれた時から放棄している父の子供になれるのか?再婚した母と父は元の鞘に戻るのか?
俺は幸せになれたのか?
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