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女性が腹の穴から、こちらの眼を覗いてくる。
「もうすぐ死ぬな、ヌシ」
大正解、とまた軽口を叩いてやりたいが、もう声を出すのも辛い。
「……悪魔が、何の用だ……。地獄の案内人、か?」
だというのに勝手に言葉が出てくる。俺は大馬鹿者らしい。
「フフン。地獄も良いが、それはまだちと早い」
女性は立ち上がる。
彼女の白髪が頬を軽く撫でた。
「ヌシ、生きたくはないか?」
問い掛けはすんなりと耳に通った。通りが良すぎて、思わず突き抜けてしまいそうになるほど。
「は?」
「生きたいか、死にたくないかと聞いた」
女性は豊満な胸の下で腕を組むと、嘆息つく。
「実はワシも死にかけていてな……。このままでは死んでしまうのだ」
何を言っているんだ。
目の前の彼女が死にかけてる? どこが。
たしかに病的に肌は白いし、その美しさは生者には見えないが、間違いなく彼女は生きている。
死にかけの俺を見て笑う程に、裸で堂々と歩ける程には元気だ。
「どうだ? 生きたくはないか?」
「……医者の所に、でも、連れてって、くれんのか?」
「無理だし、無駄だろうのぉ。
その傷の具合では連れて行く先は葬儀屋になる」
「はは……」
血を吐きながらつい笑う。
彼女も軽口が好きらしい。確かにこの傷はもう手遅れ。血も流し過ぎている。
「まあ、ヌシを葬儀屋に連れて行ってやる前にワシも死ぬがな」
女性はまたもそう言って笑う。一体彼女のどこが死にそうなのか分からない。しかも死ぬ寸前の人間が、こうも他人事のように笑っていられるだろうか。
…………俺もか。
「ほれ、早く決めろ。
死んでからではワシもなんとも出来ん」
その時、彼女の姿が最初よりも希薄(きはく)になっているように見えた。
気のせいか。それとももう視界がぼやけてきてるからか。多分後者だろう。
「さあ、決めろ。生きたいか?」
彼女の顔が気付けば眼前にあった。
死にかけの人間に生きたいか、なんて問い掛け、まるで悪魔みたいだ。
――あぁ、彼女は悪魔なんだったっけ?
「……あぁ、生きたい」
薄れる意識の中ほぼ無意識に答える。
「よし。“契約”成立だ」
彼女がそう応えると俺の意識は暗転した。その直前、唇に何か熱いモノが触れた気がした。
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