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当然医師には。
「あれ程私は言ったではないですか!!痛みの前兆あったはずです!!何故すぐに連れて来ないのですか!!蘭ちゃんが痛みを訴える時が限界に近いんですよ」
と、父は隠ず言ってくれた。
急遽手術……
執刀医師は蘭の担当医師の大浦教授。
左頭蓋骨は損傷していた。
幸いにも脳への傷は見られなかったが、頭蓋骨の破片を拾う事からだった。
7歳にしてはやはり平均の子供よりも小さく、当時は101cm&29g。
細かな技術と経験、手際を必要とされていた。
当時の大浦教授みたいな先生を、現代で言う“神の手”と言われるぐらいだと聞かされた。
その頃は結構有名だったという話。
私の頭蓋骨は、薄焼煎餅みたいに脆く、そこを万一ぶつかれば生命に関わる。
生きるか死ぬかだった……
手術は10時間という長い時間によって成功した。
後は患者である私が意識を取り戻すか……だった。
昏睡状態が3日間続いた。
どんなに急いでも10時間はかかるらしい。
僅か7歳半の子供がこの大手術に耐えたのも奇跡に近いらしい。
出血は思ったほど多く、輸血が必要とされていた。
輸血するにはA型の輸血バンクがあの頃は不足。
父からも母からも、貰っても足りなかった。
一番自分に近い妹から貰う訳にもいかない…
妹もまだ7歳だからだ。
輸血バンクを探している間に、自分の出た血を体に戻しては使い回しを行なった。
輸血が足りないと知った北大の大学生の生徒が、A型の血液型を輸血を提供者を集めてくれた。
北大で入院患者やスタッフの輸血を提供をしてくれたお陰で、輸血の心配はなかった。
普通なら、何かしら特変があってもおかしくないとも言われたが提供してくれた多くの輸血でなんとかうまくいったという。
父はその人に感謝したといっていた。
私が大きくなってからそれを教えてもらった。
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