-生誕-

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母達は、蘭と麗が無事に生まれて来たので、父と母は役所へと行き、婚姻届を提出していた。 なぜ、子供が生まれた日に婚姻届を出しのか?を、以前に聞いた。 「なぜかって? 蘭と麗生れて、かよ子も無事だったら、その日に出産届と一緒に婚姻届も出そうって言ったの。 でもそんなの分らなかったからさ、もしかしたら自分が死んでいたかもしれないからね。 奇跡的に蘭と麗が生まれて来てくれたから、その日に婚姻届を出そう」といった。 3月12日は、私達丸山家全員の祝い日。 でも……そんな記念日が、18年後に結婚記念から離婚記念になるなんて誰1人も思わなかったと思う。 無事に体重が増え退院した。 2卵性でも、1卵性みたいに良く似ていたと父が言っていた。 健康で生まれて、元気に育って欲しいと親なら、誰もが思う事。 私の親も同じ事を思っていたそうだ。 生後何ヵ月か経った時、 母の姉が赤ちゃんを連れて遊びに来て居た。 その赤ちゃんも私達と同じ歳の男の子。 私が知っている限り、今の顔になっていても、普通に接してくれていたと思う。 母の姉は、私を抱き上げた時にフッと気付いたといっていた。 「ねぇかよ子、蘭の頭……左の方、やけに柔いね? 麗はそうでもないけど?」 母は何も疑問には思わなかったという。 「超未熟児だったから、まだ出来てないんじゃない?」 我が子の温もりしか知らない母がそう言うのも無理もない。 「だって、あたしの息子も同じ歳なのに……1回病院に行って診たら? あたしの気のせいだと良いんだけど」 母は仕事で、私を病院には連れて行けないので、母の姉が私を抱っこして病院へと行った。 各病院を回って、診断の結果は成長段階だと言われたと告げられた。 そして、今通っている病院へとたどり着いた。 北海道の北大病院と言えば、当時も今でも誰もが聞いた事があるので有名な病院。 北海道大学医学附属病院……省略して北大病院。 当時は北大病院が一番に設備が誇っていて、最新な医療器具が整っていて、私は精密検査をしてもらった。 当時の教授・大浦先生が母の姉を呼び診断結果を話した。 大浦先生は複雑な顔で、私の顔を見、母の姉を見て。 「蘭ちゃんの両親にフォン・レックリングハウゼン症という持病を患っている方いらっしゃならないですか?」 聞き覚えない病名。 「いいえ……いませんが……?」
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