ある日、晴れのち雨

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今の言葉、陳腐な言い回しだったが、中々気に入った。 籠の中で悠々と生きている飼い鳥 それは、ありのままの自分を表現出来ているようで…… 「フフッ……」 笑いが漏れる。でも、それはどこか悲しいような諦めが含まれているような……そんな複雑な笑みである。 籠という狭い世界しか知らず、毎日毎日、代わり映えのしない日常を過ごしていく。 籠の中でなら自由に暮らしているように見えるが、実際はエサも水も止められたらそれまで。 自らの力で生きていくことなんてできない。 誰かが、不自由にこそ自由があると言っていことがある。 確かに不自由の中にはそれより小さいが自由があるかもしれない。 でもその自由の中にだってまたそれより小さい不自由が入っている。 自由と不自由は平等 それなのに人は自由しか求めていない。 自由は楽で居心地のいいものだから、必要以上欲しがる。 その結果不平不満、不平等が出てしまうのである。 私もよく自分が不自由であると感じている。 ただ、それと引き換えに人並み以上の暮らしが出来る自由もあるのが事実。 そうすると私は、自由、不自由がすこし大きいだけで、後は人々と同じだったりするかも…… いつの間にか歩く速度はゆっくりで、視線も足下ばかり見てた。 これじゃ私らしくない。 もっと堂々と優雅に、鳳 彩華の名に恥じぬように。 背筋を伸ばして顔を上げる。 ――そこで見えた。 雨の中、傘もささず、塀にもたれ掛かり座りこんでいる人を。
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