序章

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 気配で分かっていた。  墨を水に溶かした様な空が雲に覆われ、太陽を今一度見る事は叶わないと。  昼時の空は暗く、吹きすさぶ冷たい風に木々がゆれて、葉が飛ばされてゆく。  雨で視界が奪われ、この大草原の境目が解らない。  立ち尽くす数十名の人々は雨に打たれたながら、遠くに見える神木を見つめる。  天に轟く雷鳴に神木が影になる。  山々は雨に打たれ土砂を呼び、村の周囲の川は氾濫していく。 「己の感情を捨てるのだ!!」  アゴから伸びる長く白いヒゲ、白髪の村の長があげる怒号。 「こんな馬鹿げた事を、いつまで続けるつもりなのだ!?」   長に対し、鋭い瞳と肩口、胸板が盛り上がる程の体格を持った男は、雷の轟きと一緒に言葉を返した。 「神はもう我々に慈悲を与えはしない。滅亡を待つだけだ」  先代から伝わる神への生け贄の儀式。  拭い切れない罪の許しを請うために、若い娘の魂を神に捧げる。  そんな事が男には到底納得出来なかった。  一度は共に手を取り合い神の打倒を志し、戦い続けた人間たち。  たが、所詮は神の下で生きる人間なのだろうか。  神が放つ使いに敗れ、自然の受難が彼らを襲い、逃げまどう日々を繰り返すだけになった。  そんな風に人をもてあそぶ様な神に愛娘は渡せない。  親である自分は、種族全員の命よりも愛する娘の命の方が大切だと。 「我らは一度、力を持って神に抗った。しかしそれは間違いだったのだ!! その過ちを消す為、儀式を成功させねばみなが死ぬのだ。それを分かれ!!」 「何故、我ら《楔》だけに責任を問う? 娘が死んだ後の人生など俺はいらない!!」 「主らだけではない。後に神が現れる日がくれば、我ら《理人》からも捧ぐ覚悟はある。だが今は……」  死ぬのではない。  神の傍で我らを見守るのだ。  そう諭すのだが、そんな言葉はもう世迷い言にしか聞こえなかった。  豪雨の空の下、男は高台の神木まで足がちぎれるくらいに走る。  ぬかるんだ地面に足をとられ転げようとも、歯を食いしばり直ぐに様立ち上がった。  幹に縛られた娘のしがらみを解き、肩に腹から抱き抱え、雨が降り出した丘を夢中で駆け降りる。  足の指が切れようが、爪が剥がれ落ちようが、構わずに走り続けた。
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