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――彼女は走っていた。
ネオン街の路地裏を彼女は落ち着いた顔で、焦燥感や疲労感を感じさせない表情で走っていた。呼吸のリズムは一定で、迷う事無く路地を進んでいた。
ペースの変わる事の無い足音が、錆だらけの建物で形作られた路地に響く。
その女の年齢は二十代前半だろうか。やや切れ長な目と通った鼻梁が特徴的で、艶やかな黒い長髪をサイドで束ねてシニヨンにしている。
服装はやや紺に近い黒いスラックスに白いYシャツ、その上にスラックスと同じ色の背広を着て臙脂色のネクタイを締めていた。どれも染みや皺一つ無い。
手入れされた肌や髪といい、清潔感のある人物だ。美人と言っても過言では無いが、どこかお堅い印象を感じさせた。
しかし最も目を引くのは女の右手にある。
彼女の右手には、鈍色の鉄器が握られていた。長方形が折れ曲がったようなその鉄器は、裏路地の闇に溶け込んでいるがやはり独特の存在感がある。
六三式正式自動拳銃。
それがその鉄器、いや銃器の名称だ。
ここ日本国では一部職業を除いて所持さえ禁止されており、厳しく取り締まわれている立派な拳銃である。
やや大型のそれは、彼女が持つにはやや不釣り合いな印象が与えるが、しかしながら――似合いもしていた。
どこか不思議で絶妙な、そして曖昧なバランスを彼女は保っているのである。
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