1⃣始まりはいつも突然に

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  「あんた、そろそろ嫁に行きなさい」  リビングのソファーに仰向けになって、ポテトチップスを食べながらテレビを観ていた香澄は、母の剣呑な声に顔を上げた。  時は日曜日の昼間。  某国民的お茶の間番組の総集編を、ぼーっ眺めていたときのことだった。  瞬きを数回繰り返した香澄は、思考回路を停めた頭で考える。  休日のぼんやりした空気がそよいだようだ。  最初はただの空気の振動とも思ったが、数秒経過しても母はまごうことなく寛ぐ自分を見下ろし続けていた。  さっきの奇妙な発言は空耳ではないらしい。 「……はい?」  打てば響く、小気味良い反応には程遠い速度で緩慢に彼女は返事をした。 「はい?、じゃなくって。  あんたはいつまでそうズルズル楽な人生を送るつもりなの?」  若干20歳で彼女を産んだ母は、今年で47歳になる。  昔はスレンダーだったのだが、今はその栄光は見る陰もなくなったただのオバサンである。  一般的には細い部類に入るだろうが、昔の記憶と比較してしまえばやっぱりふっくらした感がある。  ちなみに香澄自体は彼女の体系を遺伝子として受け継いではこなかったようだ。  しかし、彼女が小学生のときの授業参観などでは、クラスメイトに「香澄ちゃんのお母さんって若いよね!」と褒められるような、内心鼻が高くなるような自慢の母親だった。 「いきなり、何を?」  その元自慢の母が言ってる日本語の意味が分からない。  嫁に行くことが『楽ではない』と、暗にその発言に含まれていることを母は自覚しているのだろうか。  娘が可愛いからといっても、もう旅を促すような年頃でもないはずだ。 「これ、見なさい」  発するぴりぴりした空気に何事かと驚いた彼女は、身体を起して母と向き合う。  人と話すときはきちんとその人の顔を見て。  それが数少ない彼女の家のルールであり、幼い頃より口を酸っぱくして言われてるので、自然と身についていた。  社会に出てから、この教えが有難かったなと思ったのは、まだ両親には伝えていない。  その教えのまま、香澄は手を伸ばしてそれを受け取った。 *
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