千年と百年の眠り

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   部屋はいまだ果てを知らぬうつつとまどろみの合間にあった。睡(ねむ)りと覚醒。螺旋しながらの沈下と浮上。ここにあって、時はもはやなにものを侵すこともできない。天鵞絨(びろうど)の手触りをした薄闇は、息苦しいほどの花のにおいとともに部屋を包んでいる。これは聯祷(れんとう)である。これまで幾度となく口ずさまれた、叙事詩の一節である。さしわたし二十歩ほどの丸い部屋に、調度はひとつかぎりで、その唯一の什器(じゅうき)たる天蓋つきの寝台には、妙齢の女の姿があった。 「次に目覚めるのはいつだろうね」  女は碧の目を細めると、傍らの男へさし向けた。 「ねえ、コーレリア。あんたはどう思う」 「不安か」  男、コーレリアは片膝をついたまま、女を見返した。金装飾を施された鎖帷子に重ねた外套(がいとう)は、堅牢な鋼の具足に似合う緋色地で、裾は立ち上がってなお床へ届こうというほどに長く、背には王の紋章が白く染め抜かれている。豊かな黒髪と褐色の肌に映えるそれらの装束は、王国騎士団のものであった。 「不安? ふん。馬鹿言うなよ。あんた、俺の名前知らないわけ?」 「ウィトー・ネグルイト」 「そうさ。そう。あたいは眠りと夜と月の魔女。大陸最強の魔法使いだ。そのあたしがこれしきで不安がる? 冗談にしちゃあつまらない」  自らの一人称すら気まぐれに変えながら、魔女は侮るように言った。熟れたように赤い唇から覗いた歯は鋭く、残光を弾いてぞっとするほど白い。 「そうだったな。お前はそう言うんだった」  いつも、と付け加えられた言葉には応じず、ウィトーは寝台に積まれた枕のひとつを手にとった。深い青の地に緑の刺繍、四隅から金の房飾りを下げた大きなものだ。仰向けのまま投げ上げたそれを、魔女はひと振り指を振るうだけで、塵と変えた。灰すら残らなかった。  
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