87人が本棚に入れています
本棚に追加
「マズラ神の紋章を焼くとは、王宮の神官たちが見れば卒倒したろうな」
「けっ。別に構いやしねーよ。あんな呪術師モドキがいくら集まろうと、本物の魔女が呪えるはずねえんだから」
ウィトーは鼻を鳴らし、寝台に仰臥(ぎょうが)したまま両手を広げた。まとった紗(うすぎぬ)から突き出た骨色の腕の先で、鍵盤を叩くように踊るしなやかな指。紡がれる音階に合わせて次々と炎が立ち上がる。銀と紫の紗を重ね横たわるその麗容は美姫、されど言葉は匪賊(ひぞく)のそれ。振る舞いはまさしく魔女のそれ。
「夜と月の魔女は、神罰すら恐れぬと云うか」
「そうよ。だってそうじゃない。私を罰せる神がどこにいる? 私を殺せる神なんて、どこにいるというの?」
裁けない神にも、裁かれない罪人にも、意味などありはない。それは虚無。あてどない虚無。白熱する火焔の内に横たわり――魔女は火刑をもって遇せよとはたして誰が云った言葉か――彼女は静かに、そして艶然と笑って永遠を口ずさむ。
やがて、炎とまぐあうのにも飽いたらしいウィトーが気だるげに手を払うと、天蓋までをも舐め尽くさんと伸び上がっていた無数の舌は、たちどころにかき消えた。
「でも、そう言う貴方こそ、自分の国のカミサマを侮辱されたというのに、随分落ち着いたものじゃあなくって?」
ねえ王様。先ほどの火勢にも身じろぎひとつせずにいた男へ、ウィトーはからかうように語りかけた。王――男、アルト・コーレリア・バルテコアは、この国のたった一人の王であった。始まりから終わりまで、ただ一人きりの王である。
「為政者は信仰など持ちはしない。だが、私にまつろわぬ者たちもマズラの御言葉(みことば)であれば耳に入れよう。それだけのことだ」
挑発的なウィトーの口ぶりも意に介さぬように、彼は禁欲的な表情で答える。
最初のコメントを投稿しよう!