千年と百年の眠り

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  「そうね、そうすることにする。私に笑いかけてもくれない、そんな男のいる世界、用なんてない」 「ずいぶんと、子どもじみた物言いだ」 「ふん。そうさ。当たり前だろ。子どもだよ子ども。この世界なんてぜーんぶ、子どもの戯れなんだ」  コーレリアの言葉に吐き捨てるように答えると、魔女はどこか彼方に向けるように、両腕をさし出した。母に抱擁をせがむ幼子のような仕草は、先ほどまでのふてぶてしい態度が嘘のようにいとけないが、その顔に浮かんだ表情を、肩越しに窺い知れるはずもない。凪(な)いだ湖面に似た両目。そこに映った己の姿を、ウィトーもまた知ることがないように。 「コーレリア」 「どうした」 「君は僕を愛している?」  しばしの間があった。決まっているだろう。彼は低く、なかば呻くようにつぶやくと、それを合図にしたように立ち上がった。重い外套の裾が床を撫でた。 「そうね。そう。決まっていた」  忘れていたわ、と言ったウィトーは、もしかしたら泣いていたのかもしれなかった。微笑っていたのかもしれなかった。けれど、常しえの君と呼ばれる男はそれを知り得ないし、知ることを望まない。いつのときであろうとも。 「それじゃあ、また会いましょう」 「ああ」  短く答えた男は、しばしその場に立ち尽くした後、身を翻し、軍靴の音も静かに部屋を横切っていった。身に着けた鎖帷子がかすかに鳴り、外套がゆったりと波を打った。 「それでも」  彼の手が扉にかかったときだった。 「また、愛してくれるのでしょう? 僕のことを」 「――いままで、どれだけくり返してきたと思っている」  ふり返らなくとも、コーレリアにはウィトーの顔に浮かんだ表情を想像することができていた。笑っているはずだ。それは鮮やかな――途方もなく凄絶な笑みのはずだ。  私たちが愛した、お前の。 「ジータニア。必ずお前を愛そう。次の私が」 「ああ。それで、安心したよ」  答えると、今度こそ本当に魔女は眠りに落ちたようだった。  そうして、音もなく扉が閉められると、部屋には贅沢な寝台と、横たわる魔女だけが残された。満ちてゆく闇と降り積もる時の中、自らの身をかき抱いて眠る姿は、寒さに震えるようにも、世界の一切を拒絶するようにも見えた。  王国に、国王崩御の知らせが走ったのは、それから間もなくのこと。  桜の死ぬ季節だった。  
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