大人になって泣くなら、15の春に泣け

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大人になって泣くなら、15の春に泣け

① 「15の春は泣かせない」、美しくも涙ぐましい、日本共産党が60年代に唱えたスローガンである。 ベビーブームの子達が、高校進学を迎えた時期、まず、進学希望者の数だけの椅子が、公私合わせても、高校側になかった。名門高校では倍率3倍を記録したこともあった。東京美濃部都政、京都蜷川府政、大阪黒田府政、口を揃えて「15の春は泣かせない」と合唱した。公立高校は激増し、すぐに定員を理由に15の春を泣く子はいなくなった。 さて、ここまでは良かった。 革新自治体は、次に「高校間格差」を問題にしはじめ、「総合選抜」「学区制」「学校群制」など、どこかの高校へは行けるが、行きたい高校へ行かさない嫌がらせを始めた。 格差は解消しなかったが縮小した。 私学黄金時代に入る。 それまで、公立名門校を狙っていた子達が、中高一貫型の名門私学に群れ始めた。 京都府立高校でチンタラやってたら、京都大学に入れない。早稲田慶応あたりへ行かれて、ベラボーな学費がかかるなら、私立高校の学費を忍んでも、全体として安く上がる。親の計算は早かった。 そして受験産業全盛時代となる。 お受験、は、最初中学入試に、次第に小学校入試に及んだ。 だが、まだ、名門私学の競争は主力は、高校入試だった。 中学までの公立の学力保証がまだ、マシであり、中学まで公立で間に合ったのである。 「ゆとり教育」とやらが、公立中学をレジャーランド化した。 ここにいたって、公立中学高校からでは、追いつかない事態が生じ、皮肉なことに、「15の春」を泣かずに過ごした子は18の春を泣く羽目になった。 更に言うなら、勉強も出来て、自分も行きたくて、しかし家庭の経済が私立進学を許さない小学生は12の春を泣くことになる。さらに15の春を定員の故でなく、経済の故に泣く子が出る。 地域トップ高が私立である地域は不幸である。 地域トップが公立なら、二番手三番手が私立でも、在学生は学費の格差を、公立に合格出来なかった事に求める事が出来る。大学入試で逆転しようと、頑張る。当時の国立大学は、ただ同然だった。入っちゃえば何とかなった。少なくとも、15の春を経済で泣く子が出ない。 膨大な公費を掛けて、公立が私立に勝てなかったのは、「みんな一等賞」の夢を追いすぎたのである。 共産党の手柄は「高校増設」までである。増設された高校に格差があっても良かったのである。
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