思い出

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手に入れた物はいずれ飽きてしまい、壊し、捨ててしまう。 どれだけそれを欲していても。 ステージのスターに心酔しても、都合良く作ってしまったイメージは、近づくにつれ、もろく崩れてしまう。 何かを作る事は簡単だ。「無」に「生」を与え、作る事は簡単だ。 しかし、壊してしまった物を、拾い集め、元通り直そうとする時、人は立ち尽くし、困難で有ると気付く。 人は神を崇める時、手を伸ばしても届かない、目を凝らしても見えない、形容のしようが無いその存在に、どこか畏怖の念が有るんじゃないだろうか。 深さの解らない、沼や海の恐怖のような。 果たしてどれだけの人が、神や故人に対し、何ら下心無く、純粋に崇拝できるのだろうか。 僕は、母親を完全に美化している。 でも、アルバムの中の褪せた母親は知るが、仕草や声すら知らない僕には、自分勝手な母親像を作ってしまう。 事実とは大きくそれていたとしても。 派手な脚色を加えても。 僕は、もう逢う事の出来ない母親を守りたい。
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