人取りの悲劇

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 実は、連合軍の撤退は偶然ではなかった。政宗の裏工作により留守である佐竹氏の本国を安房の里見氏の軍に攻めさせ、連合軍を撤退させる計略であった。しかも幸運にも敵軍内部でも謀略もあり、佐竹方は大混乱していた。  こうして危機を脱した政宗はとりあえず二本松攻めも中断、小浜城で年を越し、二本松城攻略も翌年に持ち越しとなった。しかもこの戦以降、佐竹氏は相模の北条氏の下野進出などの関東情勢の変化のために伊達氏に対する積極的軍事行動をとれなくなる。  伊達氏は従前のように南下路線を継続し、ようやく南奥制覇まであと一歩まで近付いた。
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