幸福論

2/2
前へ
/36ページ
次へ
仙人による幸福論(つまりは天使に教えられた幸福論)によれば、無気力で過ごせばプラスマイナス0であるから、双方の世界で問題は起きない。 言い換えれば、無気力で従順に工場で働けば、現実世界では何も起きない。 更に自らの境遇を悲観すれば、現実世界の自分の状況も良くなる。 だが逆に…、この世界で充実感を得れば(反体制運動をすれば)、現実世界での自分は酷い状況に置かれてしまう。 それは全て、幸せの総量が決まっているからだ。 幸せ…幸せとは何だろうか。 人は流されやすい生き物である。 例えば子供が産まれれば手放しに喜び、例えば親が亡くなれば悲しみの淵に沈み込む。 一つの事象によりその幸福感は瞬時に入れ替わり…時には幸せを感じながら同時に不幸を感じることもある。 例えば大事故に巻き込まれ生き延びたが大怪我をしたときなどどうだろうか。 人が幸せであったり不幸を感じるほとんどの要素は内心の問題ではなく、外的な要素が問題となる。 内心が不幸になるのだけでは、外的要因によってすぐ塗り替えられてしまう。 すなわち、天使が語る幸福論は、こちらの世界で幸福を得るだけで現実世界で何かしらトラブルが巻き起こるということを意味する。 つまりは仮想世界は現実世界の上位に位置しており、仮想世界での幸福感などという抽象的な感慨が、現実世界においては自分の肉体以外の事象をも左右する…と。 果たしてそんなことがあり得るだろうか? それを現実世界と呼ぶのは少し無理がないだろうか。 しかし岳自身もまた、歌舞伎町で微睡んだときに現実世界で尋問を受ける不幸な(?)自分の姿を見る。 おそらくはスズも現実の自分を見たはずであるし、何よりも二人に力説した仙人は必ず自分の惨めな現実世界を見せられているはずだ。 僕自身が岳の立場でそうした不幸な現実世界を見せられたなら…たぶん、そうかそういうシステムなのか、と納得してしまうかもしれない。 人によっては反抗を止め、納得して日々を過ごす人もいるかもしれない…仙人のように。 仙人は天使に従い、天使の命に従うことにより神の使途、工作員として誰よりも充実した日々を過ごしていた。 また本文で語られるように闇市で莫大な儲けを得て、仮想世界の人生を謳歌していたのだ。 現実を捨て、仮想世界を選んだ仙人。 最終的に…彼は天使の気まぐれにより、捨てたはずの現実世界へ戻されてしまうのだが、その絶望はどれほどのものであったろう。
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!

59人が本棚に入れています
本棚に追加