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ぼくがひとりで借りているアパートに帰ってきた時に、玄関口で妹のマリが待っていた。 「お兄ちゃん、遅いんだもの」と頬をふくらます高校生のマリ、手には小ぶりのボストンバッグ。 「まったく不良なんだから」と自分のことは棚に上げ。 ぼくは部屋の鍵を開けながら、マリに向かってあかんべえをする。 「なんだ、またプチ家出か?」と部屋にマリを入れるぼく。 「お父さんたら、横暴なんだから」とマリは、勝手知ったるぼくの部屋に居座る。 「お腹すいていないか?」 「大丈夫、家で夕飯しっかり食べてきたから」と現金なマリ。 ぼくはお湯を沸かそうとガス・テーブルのところにゆく。 「今日は泊まってゆくのか?」とマリの毎度おなじみの愚痴を聞きながら、折り畳みの小テーブルにカップをふたつ出してティー・バッグを入れる。 「うん、泊めてね」ともう両親の承諾はとってある様子のマリ。 「おまえ、ほかに泊めてもらえる女友達いないのか?」といささかうんざりして。 「親父の話はもうするなよ」と少し冷淡にしてやる。 マリはぼくのご機嫌をとるかのようにポットにお湯を移して、紅茶を煎れる。 四畳半に六畳の2DKバス付きのわが砦は、マリのひとりくらい寝かせるスペースは充分にある。 「マリ、大学に行きたくないんだ」とぽっんと呟く。 ぼくも大学に行かずに好きなことをしているから、何も言えない。 「あたし、お兄ちゃんと暮らしちゃまずいかな?」 「ぼくにもプライバシーがあります」とぼく。 「父上、母上も悲しみまするぞ」と時代がかった台詞で。 「うん」とマリはうなずいて、ギターを指差して何か弾いてくれと言う。 ぼくはお隣さんの迷惑にならないように、ケースから相棒をとりだしてA音の音叉でギターをチューニングする。曲は中島美嘉の「雪の華」。マリのとっても好きな曲。ぼくはアルペジオで弾きながら、そっと歌う。その声にマリがハミングする。ささやかな兄妹の絆。
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