信濃侵略

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兵法にある程度精通している者なら、「寡を持って衆を討つ」という言葉が多分に希望的観測であると知っている。実際には戦争でものをいうのは圧倒的大軍であり、数の差を覆して勝った例は国内外を問わずあくまで「奇跡」か「例外」として扱われる。 裏を返せば少数ながら例外や奇跡が存在するということは方法がないわけではない。日本でいえば源義経はその代名詞であり、他にも毛利元就の厳島の戦いや織田信長の桶狭間の戦いがある。 これらの戦いは基本勝利側は「奇襲」を戦法として採用しており、それも失敗寸前の紙一重だ。 仮に少数兵力で真っ向から大軍を迎撃しようすれば、それは迎撃側に余程強力な兵器が存在しなければならない。 響き続ける銃声は止むことはない。地面で上がる砂煙により空気は濁り、視界は遮られる。時折煙の向こうに瞬く銃火を頼りに射撃するが、最早それさえまともに視認できないときもあった。 川を一つ挟んで向かい合う二つの軍。 片や、その数およそ三千。 片や、その数わずか二十。 勝負は明らかなはずの兵力差で、しかしながらその戦況は全くの互角だった。
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