遠い記憶

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「…王女様が俺を?」 「泣いててね、大変なの。トランプもカメマガイも公爵も公爵夫人も、皆みーんな困ってるの。だから早く行ってあげて」 とても大変そうには思えないゆっくりとした口調で言いながら、眠り鼠は紅茶をこぽこぽとつぎ足していく。カップから溢れだしたところで眠り鼠はティーポットを置き、それを手に取って飲もうとするが、指に紅茶がかかり「熱っ」と言って飛び跳ねた。 「わっ大丈夫?」 火傷してやいないかと、慌てた直也は眠り鼠の手をとる。 ……細い…指だな……… 真っ白で血なんかかよってないみたいだ。 「アリス、心配することないよ」 紅茶を飲みながら帽子屋は冷静に言う。少し声に苛立ちがまじっていたけれど、直也は気付かなかった。 「でも…」 「眠り鼠の火傷なんて日常茶飯事なんだから」 言われて眠り鼠は子供らしくぷうっと頬を膨らませる。 「うるっさいなー帽子さんは」 日常茶飯事だというところを眠り鼠は否定しなかった。 「そんなことばっか言ってるとアリスに嫌われちゃうよ」 「いーんだよ。…私のアリスは最初から一人しかいないんだから」   皆の望むアリスに… なりたいと言ったのはいつだったか。帽子屋はそんな直也に無理だと言った。それはたぶんこういうことで…… ──心臓が締め付けられる。 こんな変なやつだけど、俺は帽子屋に嫌われたくないんだと自覚した。帽子屋は俺がいなくても代わりのアリスがいればいいんだ。アリスと名乗る者がいれば…。 帽子屋は俺を…俺という人間を必要とはしてない。 「俺…行ってくるよ」 ここにいたくない。帽子屋がアリスを思い出してるとこになんかいたくない。 馬鹿みたいな嫉妬に直也は苛立つ。 帽子屋が誰を想っていようと自分には関係ないことだ。けど…だとしたら自分は何に苛立ちを感じているのだろう…? 逃げるように席を立った直也に帽子屋が声をかける。 「……一人で行ける?」 「馬鹿にすんなっ」 ほとんど一本道なのに迷うわけないだろと、心中で悪態をつく。一度丘に行くことができず途方に暮れていたことがあったなんてのは、直也の記憶にはもうなかった。 「そう…じゃあいってらっしゃい、アリス」 「…ん。行ってくる」 口で言うほど直也を心配していない帽子屋に、けれど直也は未練たらたらなまま、家を出ていった。
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