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人間は、胸筋を二十倍にまで鍛え上げれば、鳥と同じように飛べるとはいうが、実際のところそんなものはただの理屈であり、現実では無理だ。
けれどもしかし、何もしないで飛ぶということの方が、不可解極まりない。
それならば、まだ胸筋やらを鍛える方が現実味があると言えるだろう。
しかし、ここは幻想郷。
常識の裏側。
世界の裏側。
不可能が可能で。
可能が不可能。
故にその、飛ぶという行為もまた――可能なのだ。
……とはいえ。
そうは言っても、幻想郷にいれば誰でもすぐに飛べる、というわけではない。
この世界で飛ぶ、ということは、簡単に言えば常識を否定すればいいのだ。
ここでは、常識と非常識が表裏逆なおかげで、向こうの飛べないが飛べるに変わる。
だから、常識を否定すればいい。
しかし、簡単に言うがこれがまた難しい。
そもそも、否定するということ自体が簡単ではないのだ。
常識の否定。
つまり、少しでも自分の中に『飛べない』という想いがあれば、飛ぶことは出来ない。
俺のように外から来たものは、長い間常識というものに縛られてきた。
それ故に、簡単には飛べないのだ。
――とまあ、理屈っぽく言ってみたけど、実際のところは俺もよくわかっていない。
いや、少しも理解していないのかもしれない。
今のだって、恥ずかしながら自分でも何を論じているのか、ほとんどわかっていないも同然なのだ。
何せ今のも全部、あの人からの受け売りなのだから。
俺は比較的短い期間で飛べるようになったのではあるらしいが、論理やら理屈やら、その辺りはさっぱりだ。
ふと前を見ると、そこにはまるで、それ一つで巨大な石山を形成しているかのような、長い長い階段。
これこそ、白玉楼の入口。
冥界の門とも呼べる場所である。
博麗神社の階段も、中々に長いものではあったのだが、ここはそれの比じゃない。
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