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死に方の理想に、近づくことは出来たとしても、実際にタイマーをセットすることも、環境を操ることも、私達には出来ない。
実際には、死に方を選ぶことは出来ないのだ。
以前、「死生観」の講義の中で「人は生きて来たように、死んでゆく」というのを聞いた。
要するに、たくさんの人に見取られ、見送られながら死にゆく人は、それなりのことをして来た人であり、淋しい終末を迎える人は、やはりそれなりのことをして来ているのだ。というようなことである。
確かに、一理あるのかも知れないけれど、私はこの考え方が嫌いだ。
人はそれぞれ、死に様を考えて、生き方を決めているわけでも、選んだ生き方が、いつも思うようになっているわけでもないではないか。
誰しも、死の瞬間は平等に、あるとき突然やってくる。
誰かを見取ることも、誰かを見送ることも、死にゆく人ではなく、見送る側の事情でしかない。
生きている私達はそれだけは、覚悟しておかなくてはならない。
誰かが、死んだ後も生きて行く人達。
誰かを残して、死にゆく人達。
ある日。
死を迎えても、お互いに後悔のない時を過ごしているだろうか。
今…。
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