子供だって

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今に始まったことじゃないのだが、 「親は親、私は私なんだから! 私が施されたのとまったく違う、 もっとスバラシイ教育を子供に与えてやるのよッ! そんでもって一流幼稚園に入れて 一流小学校へ進ませて 一流中学校に進級させて 一流高校へもバンバン入らせて 一流大学へ当然入学させて 一流会社に入社させるのよッ!」 と鼻息も荒いオカーサマが今だ多いようだ。 今だからこそなのかな? この考え方は明らかに間違っている。 一流の道を進ませようとする志の高さはそれなりに評価するが、 冷静になって考えてみると、 それはオカーサマ方の志にすぎない。 親は親、私は私と言うのであれば、 そのセリフはそのまま当のオカーサマと子供サンにも当てはまるのではないか。 まぁこれはセリフ云々より、 子供には常に子供の志があってしかるべきであろう。 子供の中から自発的に湧き出てくる志を無視し、 どうしてオカーサマの志を押し付けるのだ? 親という字をよく眺めてみると分かると思うのだが 「立ち木の陰から見る」 からこそ親なのである。 偉いよなあ昔の人は。 ツボを心得ている。 親は立ち木の陰からそっと子供を見守る程度で、 ちょうどいいのである。 「そんなこと言ってられないわッ。 あたしの子供なのよあたしのッ!」 などと取り乱して立ち木の陰から踊り出し、 あーだこーだと子供をいじくるからいけないのである。 話が横道に逸れた。 トリプルアクセルで元に戻す。
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