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「……なんで、飛び降りなかったの?」
黒い世界に二人だけ。低く響くその声を聞く俺は、声が上ずるような精神状態を押さえ込み、やがて答える。
「お前を止めなきゃ意味が無い。追われてもまだ躱せるなんて、そこまで自惚れちゃねえよ」
「飛んで逃げれば良かったじゃない」
「タナトスを浮かせてたお前が、浮けないとも限らない。そんな実験をしてる余裕が、アイツらにあるわけないだろう」
「あの使い魔に、助っ人を連れて来て貰ったりすれば良かったのに」
「くどい。その時お前がどうするかなんて、お前が一番分かってんだろ」
あは、とリトは笑う。それは明らかにさっきとは違う。自嘲のような、馬鹿にするような、そんな後ろ向きな含み笑い。
「あーあ……。シグレの選択以外だったら、絶対アイツを殺せたのになぁ」
髪を掻き上げ上を仰ぐリトの目からは、涙のような何かが流れていた。その耳で光る装飾品は、やはり片割れでしかない。
「シグレの目の前で、あの輝きをグチャグチャに壊せたのに。世界を諦められるくらい、あの無垢をズタズタに犯せたのに」
「無垢な心に輝く容姿? なんだよお前、片目でもちゃんと見えてるじゃねーか」
「どうしてこうなるんだろう。なんでオレは、引きたくない選択肢しか引けないんだろう」
「決まってる。引きたい選択肢を用意してないからだ」
「分かったように言うなよ。オレはお前がこの世界を捨ててくれさえすれば、それ以外のことはどうでも良かったかもしれないのに」
「そんなもん、大前提から無理な話だ。俺はアイツが大好きだからな。本当に参るくらい──やられてる」
「聞いてない。聞きたくない。……もう喋らないでくれよ。そんな顔したって、もう選択は変えられないんだから」
「へえ、俺は今どんな顔してんだ?」
「あの女と同じ顔だよ」
「そんなわけねーだろ。あんな不機嫌なツラ出来る奴は、アイツだけだ」
「だから好きなの?」
「ああ、たまらない」
久しぶりだった。こうして思った事を脈絡無く話すのも、魔法を使えない状況も。
眼前を埋め尽くす漆黒の魔法陣を見て、どうしてか俺は、恐怖するより先に笑ってしまっていた。
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