上洛

10/14
前へ
/186ページ
次へ
次の日、清河の演説中に私たちは離隊を申し出た。 勿論許そうとしない清河を払い切ったのは、芹沢さんだった。 その後私たちは話し合い、京都の治安を預かっている会津藩に事の顛末を話し、掛け合うこととなった。 「じゃあ会津藩邸には俺と勝ちゃん、芹沢さん、あと悠!お前も付いて来い。」 「え…私…?」 「…返事は?」 「は、はい!おおおお供させて頂きます!」 土方さんの声に驚いた私の返事に、皆が笑う。 そんな皆と一緒になって笑っていながらも私の中では、“会津”藩邸に行かなければならない不安が消えなかった。 しかし私は、ただの浪士隊が一番上の松平容保公にお会いさせて頂けるとは思ってもいなかった。 が、それを“芹沢鴨”という男はやってのけたのである。 容保公の御前であるというにも関わらず、近藤さんたちは全てを見事に説明してみせた。 容保公は事態が事態、手も足りないだけに、壬生の浪士組を会津藩お預かりとすることをその場で決断された。 深く頭を下げ部屋を去ろうとする瞬間、容保公が「一番後ろの者、残れ。それ以外の者は藩邸の者も含め、席を外せ」と言うので、私たち全員たまげた。 一番後ろにいるのは千代悠、まさに私だった。 「…単刀直入に訊くぞ。お前、結平(ゆいひら)の子か。」 容保公が気遣いを働いて人払いをして下さったことで、私は首を振る気持ちになれなかった。 「…はい。」 「うむ…、結平から子は娘ばかり4人ほどと訊いて居たが…そうか。」 「いえ!父上は容保公に嘘を申す者では御座いません!」 「…結平は年も近い故昔から知っているし信頼もしておる。」 「でしたら、」 「しかしそれだけ幼少の頃の結平と似ておるのだ。それにお前が子だと認めたのだろう。」 私は一つに結い上げていた髪紐を解き、髪を下ろした。 「私は千代結平が次女、千代悠に御座います。このような格好でご無礼を働き、申し訳御座いません。」 私は膝をつき畳まで頭を下げた。 容保公は目を見開いて驚かれたが、無理もない。 「両親の勧めで三月ほどの旅と思い出発致しましたが、先刻近藤以下が申しましたように、私はこの地で少しでも世のために力を尽くしたい所存でございます。」
/186ページ

最初のコメントを投稿しよう!

823人が本棚に入れています
本棚に追加