上洛

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「…また…これは…まさかお悠とは…。結平からもお転婆娘とは聞いておったが…。」 そういうとしばらくして容保公は、穏やかな笑みを浮かべられた。 「頭を上げよ、お悠。」 そう言われて私は容保公を見上げる。 その笑みは容保公の人柄をよく表している、屈託のない優しい笑みだった。 「結平もだが、千代の家の者は昔からその目をすると絶対に己を曲げぬのだ。ここで止めようが、お悠は先の者たちと行くのであろう。」 「さすが会津の松平容保様…よくご存知で。」 そういうと2人でくすくすと笑った。本来無礼な行為でも、臨機応変に対応して下さる寛容さが今までも、そしてこれからもずっと容保公の魅力だと思う。 「犬死にだけはするでないぞ。お悠、お前は大事な会津の民だ。才に優れる結平の子でありながら、剣術ではその辺りの男共など取るに足らぬと聞いておる。」 「どんな世になろうとも、会津の武士としての誇りを絶対に忘れるな。その命、大切にせよ。」 私はありったけの感謝を込めて返事をした。 門まで急いで出ると、土方さんが待って下さっていた。 「何だ、何を言われた?」 土方さんが眉間に皺を寄せて尋ねてくる。 「…土方さん。」 「なんだ。」 「会津公は、私が命を尽くすのに劣れを取らぬお方でした。」 「…そうか。俺も、そう思ったよ。」 将軍様でも天子様でもない松平肥後守様に命を尽くすと考えたのが可笑しくて笑いながら、屯所への帰路に着いた。 今思えばこの時から、誰でもない会津公のご判断で最後まで新政府軍に抵抗する勇軍となることも決まっていたのかも知れない。 でもこのときの私たちは、これから京都で生きていくことで精一杯で、そんな事は頭の片隅にすらなかった。 そう、これからしばらく私たちは、ただ日々を生きていられることが奇跡とでも言えよう、常に殺気と隣り合わせの殺伐とした日々を送ることになる。 “壬生狼”の名にも負けない、日本最期の武士集団になっていくのだが、それはもう少し先のことだ。
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