上洛

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私たち浪士隊は、壬生に荷物を下ろした。正式には、葛野郡朱雀野村字壬生、と言うらしい。 荷を下ろすとすぐに、清河というお偉方から召集がかかった。 清河は私たち浪士隊を広間に集めると、「我々は尊皇攘夷を掲げるのだ!」と、びっくりする程堂々と、清々しく寝返ったのだった。 私も、試衛館の面々も、一緒に上洛していたお役人さまたちも、これには度肝を抜かれた気分だった。 更に清河は、浪士隊の名で尊皇の建白書まで用意していて、次の日には異人嫌いの孝明天皇に提出してしまうのだから、お役人さまたちも手のつけようがなかったことだろう。 しかし、驚いたのは一部の面々だけで、多数の浪士は何が何だかという顔で呆けている。 その時私は、浪士隊とは元々剣術一本で生きてきた者ばかりだということを思い出した。 つまり学がなく、清河がたった今勝手に掲げた尊皇攘夷と、ほんの今まで浪士隊が掲げていた佐幕の違いがはっきり分からないのだ。 こういう時に、少しでも学をかじっていると身の振り方に困る。 私は町医者、それも会津藩に仕える家の娘である。 徳川御三家に続く名藩である会津藩を診る家に生まれた私が、攘夷や佐幕を知らないまま育っているはずもなかった。 そう、そして私の家もご近所も、皆筋金入りの佐幕思想。 私は尊皇や佐幕といった思想には無関心だったが、尊皇を掲げられて良い気はしない。 しかし私は今どうするべきなのかも判断できず、今はその場を去る浪士隊の皆と同じようにするほかなかった。
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