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『榊原康政』
前述した井伊直政、本多忠勝同様徳川死天王の一人であり、酒井忠次と共に関ケ原の戦、其の後半より奮戦を重ねた猛将である。
しかし戦が終結した後は、この榊原康政は自ら江戸幕府を離れ、静かに暮らしたと伝えられている。
井伊直政・本多忠勝など、徳川死天王ら皆に云えることなのだが、彼らは関ケ原の戦の後は、自ら望むようにして江戸幕府、即ち中央政権からは遠ざかったと云われている。
これは、泰平の世において彼らが導きだした答え、武士の時代の終わりを痛感したが故の回答であったのであろう―。
慶長十一年五月。
館林にて死去。
その死に顔は、安らかであったと伝えられる―。
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