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『黒田長政』
武断派の軍師・黒田如水の息子であり、切支丹殺戮隊の隊長を任されていた黒田長政。
しかしその実、この黒田長政及び父・如水もまた、旧くは南蛮寺剣法を修めた切支丹だったのである。
当初は同門であった明石全登と仲違いしていたこの黒田長政であったが、戦の最中に明石全登の秘められし想いを知り、再び明石全登らと共に南蛮寺剣法を広めることを誓うのであった。
徳川家康ないしは江戸幕府に南蛮寺剣法の存在を認めさせ、文治派・武断派などの垣根に別れて双方争うことがないように、よく取り仕切ったと云われている。
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