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『明石全登』
南蛮寺剣法の使い手であり、凡そ日本国内の伴天連衆の頂点に君臨したとも伝えられている、明石全登。
この漢は関ケ原の戦において“滅願帝”を用いることで、自らの命と引き換えに石田三成と徳川家康の両雄を“出諏須太亜”にまで送り込むことに成功したのであった。
“滅願帝”の消費生命力は著しく、通常であれば死に至るはずの、この究極秘奥義―
しかし黒田長政をはじめ、その周囲にいた数多の武士らの生命力を少しずつ分けてもらうことにより、明石全登は奇跡的に一命を取り留め息を吹き返したのであった。
しかし―
その後、徳川家康のみが地球に帰還し、主君である石田三成が還らなかったことには、大いに嘆き悲しんだと云われている。
もっとも―
その後明石全登は日本国内で伴天連の教え・南蛮寺剣法の教えを積極的に推し進めながら、それ以外にも島左近と協力する形で宇宙探索の業務を積極的に行っていたという記録が残っている。
宇喜多秀家が八丈島で慈英大流剣術を教えるなか、明石全登は南蛮寺剣法を伝え―
少なからずその後の歴史に大きく貢献したことは、揺るぎのない事実なのであった。
没年、没年齢、ともに不明―
一説では島左近とともに『NASA』の礎を築き、宇宙探索や地球外生命体から脅威、不老長寿や不老不死、また“打敏知硬土”などの研究に携わったとも云われているが、いずれも不確かな情報である。
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