【登場人物・後日談】

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『本多忠勝』 “四百戦無敗”の異名を持つ、徳川死天王の切り札、本多平八郎忠勝。 前述した井伊直政同様、関ケ原の戦の折はその優れた身体能力を以て勝利へと貢献した。 “蜻蛉切”と呼ばれる長さ二丈余の彼の愛槍は天下三名槍に数えられ、穂先に止まった蜻蛉が真っ二つになったという逸話が残っているが、その話は半分が事実であり半分は別の事象を指している。 それはつまり― 真なる蜻蛉切の正体が、その実、彼のその鍛え上げられた指先― 即ち彼の抜き手にこそ、この逸話が冠されるという事実が存在するのであった。 “生涯無傷無敗”を宣言していたこの戦国武将を支えていたものは、刃のように研ぎ澄まされ、且つ鋼のように強固であったその肉体にあったことは紛れもない事実である。 人間兵器― 関ケ原の戦が終わり、天下統一が為された後は、本多忠勝は自らの意思で江戸幕府の中央からは遠ざかり、隠遁生活を送っていたと伝えられている。 自身のその極限まで鍛え上げられし肉体が、泰平の世には不要だと自覚していた忠勝らしい、見事な引き際― 肉体のみならず、その精神もこの本多平八郎忠勝は、頑強なものなのであった。 享年六十三歳。 慶長十五年(1610年)十月十八日に、隠遁先の桑名で息を引き取ったといわれている。 戦の中において武神・軍神と崇められたこの漢は、無敗のまま没したのであった。
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