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以前、マサムネの隊にある男がいた。
彼は、一介の武弁で、長年ルスランで兵士を務めていた。
だが、ある時彼はマサムネを呼び出すと、こんなことを言ったのだった。
『私は、これからアザルトへ参ります』
律儀な男だった。
今から裏切るというのに、マサムネへ最後の挨拶をするために呼んだのだ。
多分、斬られる覚悟でいたのだと思う。
『リリアーヌ様は、昏冥に包まれた世界でただ一筋の光なのです』
彼は、きっとマサムネにこのまま斬られてしまっても文句は言わなかっただろう。
彼自身、迷っていたのだ。
これは、数十年使えたルスランへの裏切りだ。
でも、恩を仇で返してまで、彼にとってはリリアーヌという存在はそれほどまでに輝いてみえたのだろう。確かに、アキレスとはまた違ったカリスマ性を持っている。それに魅かれたとしても、仕方のないことだ。
それでも、それはルスランへの恩義を押してまでやるべきことなのかと。
だから、忠誠を誓う上司の手で死のうとしていたのだろう。
『そうか。……ま、元気にやんな』
男がぽかんとマサムネを見る。
マサムネは、わざとめんどくさそうにあくびをすると、彼を追い払うように手を振った。
『俺は今、休憩中なんだよ』
マサムネはそうして彼に背を向ける。
長年苦楽を共にした部下は、マサムネの姿が見えなくなるまで頭を下げていた。
一言でも「すみません」だの「ごめんなさい」だの言葉を発したら、彼を斬ろうと思った。でも、彼もわかっていたのだろう。謝罪の言葉をマサムネが望んでいないことは。
彼は、悪くないのだから謝罪されても困る。
むしろ、悪いのはマサムネ達、上に立つ人間だ。彼らを踏み台にしても、世界の混乱は収まらない。むしろ、終息を迎えるどころか、昨今ではルスランとネクロスの戦いにアザルトまで出てきてひどくなるばかりだ。
マサムネは、静かに頭を下げる男を見て見ぬふりをして、男の前から立ち去った。
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