はじまりの追憶

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ちらり、とこちらを振り向いただけで、彼は何も福子の言葉に返さなかった。 微かに唇が動いて何か呟いたようにも思えたが。 恐らくは彼女の気のせいだったのだろう。 そのまま保健室へと連れられ、彼女のロッカーから彼が持ってきてくれたジャージに着替えを済ませると。 あちこち擦りむいた箇所の手当てまで、彼はしてくれた。 硬く節立った大きな手が繊細に。 優しく気遣うように彼女に触れて。 そんな風に―――特に異性に扱われたことの無い福子は、その間ずっと緊張し通しだった。 (見ない振りだったり、一緒にからかってきたり。笑って見てるだけの先生だっていたのに………。) (――なのに、高藤先生は違ったんだよ。私の知ってる男子や先生と違ったの。) (一度も―――私の惨めな姿を見ても。笑ったりしなかったの…………。) 今まで笑われることが普通だった彼女に。 《初めて》、揶揄も嘲笑も向けなかった男性(ひと)―――。 (大袈裟だって言われるかもしれないけど、初めてだったんだもの。) (当たり前みたいに、優しくされたの――。) だから福子にとって、『高藤先生』は特別な男性(ひと)だ。 彼女にとって《特別》な、憧れの男性(ひと)―――。 「あの高藤先生が優しい……ねぇ?」 疑わしげな柚子の声に、現実へと引き戻される。 いまいち信じきれていない様子の友人の顔から、福子は再び、既に消えた背を追うように教室の出入口へと視線を向ける。 ―――やはりというか、当然そこに福子の望んだ後ろ姿を見つけることは、出来なかった。
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