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「出発はいつなんだ?」
「あした」
「明日!? 何でもっと早く言わなかったんだよ!」
「言おうかどうしようか迷ってて。気づいたら今日になっちゃった」
いたずらがばれたかのような顔で俺を見る。そんな菜穂子が可愛くて、軽く頭をはたいてやった。
「見送りなんて行かないからな」
親父みたいな台詞だな。自分でもそう思う。
俺が自分で笑うと、菜穂子も笑った。つられて笑う、いつものふたり。
「わかってるよ。あしたは大事な試験じゃん。2度目の春、今度こそ桜を咲かせてよね」
勢いよく菜穂子が立ち上がる。それに続いて俺も立ち上がると、菜穂子がくるりと振り向いた。
「待ってるぞ。浪人生くん。あのキャンパスで、また会おう」
菜穂子がにっこりと笑う。それで、俺は気づく。
この1年、待っていたのは俺じゃない。俺は菜穂子を待たせていたんだ。
こみ上げてくる何かがあって、俺は上を向いて空を見た。相変わらず、灰色の空。そんなことを考えていたら、目の中になにか冷たいものが飛び込んできた。
「……雪?」
はじめのそれに気づいてから、雪は思い出したかのようにたくさん降りだしてきた。もう3月だっていうのに。
東京では季節はずれの雪は、それでも触ると冬の雪と同じで、ひんやりと冷たかった。
「むこうに着いて落ち着いたら連絡するから」
「おう。俺もうれしい返事ができるようにしておくよ」
「がんばってね」
「菜穂子もな」
「うん。……じゃあ、いってきます」
いつになくまじめな顔で菜穂子が言う。少し不安だったけど、俺は自然な笑顔を菜穂子に見せられた。
「気をつけてな」
お互いに小さく手を上げる。菜穂子は最後に笑って見せて、俺に背中を向けた。駅のほうへと歩いていく。
駅まであと半分、というところで、俺も菜穂子に背を向けた。大丈夫。誰にともなく、小さな声で呟いた。肩に乗った雪が、ゆっくりと溶けていく。
次に会うのはあのキャンパスで。
桜舞う、春の盛りに。
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