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「なにを、食べている」
ぐちりとつまんだ器官に長い爪を食い込ませて、それから首を傾げて男はもう一度それを口に含んで飲み下した。狼は見る。ひゅうと息をする音が聞こえてきて、ニンゲンの器官が面白いことを知る。彼がニンゲンから奪い去ったのは声の源である声帯だった。流石にもうニンゲンの歳で言う二十歳を超えれば自分のあるべき存在を悟り、足らないモノを知る。それは狼に足りないものも、ニンゲンに足りないものも知ることになる。中途半端な存在は、中途半端な知識しか身につけることしかできない。
少しだけ瞼を伏せて寂しがる彼はしきりに喉をさすり、狼のように唸ることしかできない声を恨んでいるかのように歯ぎしりをした。ニンゲンと狼の仔に教えてやる。自分にもそれがあることを。ニンゲンの喉の動きを頭の中で思い浮かべて、それを忠実に教えた。彼は首を傾げてそれから喉をさするのをやめて怪訝な表情でそこを教えてやった通りに震わせた。
「あー、」
遠吠えでもなく、威嚇の声でもなく、吠える声でもない。ニンゲンの声。がらりと乾いた低い声に目を見開いて驚く彼の褐色の頬を舐めて狼は褒めた。嬉しそうに顔を明るくして何度もその音を楽しげに発する彼の声が歪んだのはその数分後。蛙の潰れたような悲痛な声が聞こえてきた。
黒く光る瞳孔を大きくし、目を見開いた彼の脇腹を見ると刃物が根元まで突き刺さっていて、先ほどの臭いと全く同じ臭いが鼻孔を刺激した。他人の臭いは好きでも彼から溢れ出したその臭いは好きではない。感情の込められた血の臭いに狼は刺した相手を唸った。
口だけが動く。声を失ったその相手はしきりに口だけを動かして感情を伝えた。大きく開いたその口の通りに彼も口を動かす。憎しみと憎悪を恐怖の感情を受け止めて、彼は最後に心底楽しそうな顔で彼の変わりに言葉を発した。
「こ、ろ、し、て、や、る」
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