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その男は差し伸べられた手をはらい落とした。黒く伸びきった髪が揺れて、凛とした表情で断る、と単調に一言だけ述べた。がらりと乾いた低い声。
その瞬間に、笑顔で手を差し伸べてきた男の顔が歪んだ。上っ面の笑顔だと元から分かっていた彼はその表情を簡単に受け止める。
沢山殺して沢山成果を上げてこい、それだけのために手を触れ合わせたくはなかった。
「家畜になるつもりは一切ないのでな」
不満そうな相手に面倒くさそうに説明すると踵を返す。堅い地面が妙に不愉快で、柔らかく積もったような土の地面が恋しかった。地面に顔を擦りつけて枕にし、ふわりと柔らかくかかる葉の毛布の感覚は、ニンゲンとして育てられた十年を経とうともそれは忘れられない心地よさだった。
ニンゲンのこういった上っ面の感情が見えた時に、彼はいつも狼に戻りたいと切実に思う。嘘もなく唯、単調に生きることを求める世界。一筋の光、生命を維持したいという思いの光だけが生きる術だと主張する自然の世界はどうしようもなく綺麗に輝いていた。
「勘違いしているぞ」
粘着質で嫌みったらしい声。あからさまに怒りを含んだ感情に首だけで振り向いてみるとそこには顔を少しだけ赤くした男が立っていた。思わず汚らしいものを見たような視線を向けるとその男は早口で捲し立てた。
「狼に育てられたお前をニンゲンとして育てたのは誰だか分かっているのか、分かっていないようだな、お前はもう家畜なんだよ狼じゃない。犬だ」
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