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世界が反転した。脚の筋肉が伸びる。昔の残像で頭がくらりと揺れて、その時と同じように犬歯を向けた。馬乗りになり、早くも恐怖で歪んだ顔を赤黒い舌先で舐める。歪んだ口に血がいっぱいに広がったような錯覚がする。
「なら鎖でもしておけ」
自分が飼い主であることを示し、自分の方が上だと示してみせろとイスハークは笑った。椅子にふんぞり返り、下で這い蹲る者に命令するだけで自分は何もしない。餌を与え続けた『犬』にもこうやって上に乗られている。
神は弱者を殺し強者を救う。弱者は早く死ぬべきだ。
あの時、声が無くて発せ無かった言葉を変わりに発したときに目の前が点滅した。あの言葉を発したときにとてつもなく強大なモノを手に入れたと思った。なにも目の前は見えなかったけれど確かに暖かなモノに包まれて吐き気がするほどの安定感に襲われた。今までになかったほどの安らぎが不安できっと気持ちが悪くなったんだと思う。
声を手に入れて最初に発した言葉は今も勿論忘れてはいない。寧ろ、その言葉がイスハークの存在全てだった。
あれは神の言葉だ神のお告げだ。
自分を二十年間育ててくれた老狼が死んだ時に、吐き気がするほどの安定感がまたして、老狼を包み込んだ。その安定感がなんなのかを知ったのは、ニンゲンとして育ってきた十年間だ。十年間の中でその安定感が神の存在だと知った。
柔らかな自然が戦火の炎を燃やすときに確かに神が言った。ニンゲンになってから分かった。戦争と言うものがあって、戦火が激しくなって自然がなくなった。老狼の墓がどこだか分からなくなるほどに焼き払われた森を見た時に又、視界が点滅して初めて発したあの言葉が聞こえたのだ。
怒りに満ちたその矛先が最初は何処か分からなかったけれども。
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