《五十話》二人での外食

4/5
前へ
/297ページ
次へ
「一生、チョコの前には現れないと約束したのに反故にしたいのか?」  あたしは薫子さんから顔を逸らせないでいた。 目を離した途端、飛びかかられそうで怖かったのだ。  だけど薫子さんは圭季の冷たい声になんの反応も示さなかった。  どうして薫子さんがここにいるのか、とか、なにをしに来たのだろうという疑問が浮かぶけど、それらは声にはならなかった。  息を詰め、必死になって自分の気配を消そうとしたけれど、そうすると今度は息が苦しくなってきた。  圭季の腕に力が込められたのが分かった。 圭季と触れている部分だけ熱を感じた。  あたしたちの間には緊張感が漂っていた。 ちょっとした動きで爆発してしまいそうな危うさ。  その緊張の糸を断ち切る声。 「薫子さまっ」  それまで無表情だった薫子さんに表情が甦った。  あたしはその変化に目を奪われた。  前からきれいな人だとは思っていたけれど、凄みのある美が足されたような気がする。 「あ……っ」  その呟きにびくりと身体が震えた。 さらに圭季の腕に力が加わる。 「わたくし……一言、謝りたくて」  ……謝る?  薫子さんが一歩、足を踏み出したことで気がついた。 彼女の足には靴がなかった。 「謝って済む問題ではないと思うけれど……」  そう口にしたところでスーツ姿の男性が複数人、走って現れた。  そしてあたしと圭季の姿を見て青ざめていた。 「たっ、橘さま……っ」  責任者らしき人が圭季のところに走ってきて、土下座でもしそうな勢いで頭を下げてきた。 「もっ、申し訳ございませんっ」  あたしの視線は未だに薫子さんに定まったまま。 「やだっ、待って!」  薫子さんはあらがっていたけれど、複数の男性に身体を担がれ、あたしたちから遠ざかっていった。 角を曲がって姿が見えなくなってもそこから目が離せなかった。  だってまたあの人たちを振り切って戻ってくるかもしれないから。  薫子さんの執念を垣間見て恐ろしくなった。
/297ページ

最初のコメントを投稿しよう!

131人が本棚に入れています
本棚に追加