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「一生、チョコの前には現れないと約束したのに反故にしたいのか?」
あたしは薫子さんから顔を逸らせないでいた。
目を離した途端、飛びかかられそうで怖かったのだ。
だけど薫子さんは圭季の冷たい声になんの反応も示さなかった。
どうして薫子さんがここにいるのか、とか、なにをしに来たのだろうという疑問が浮かぶけど、それらは声にはならなかった。
息を詰め、必死になって自分の気配を消そうとしたけれど、そうすると今度は息が苦しくなってきた。
圭季の腕に力が込められたのが分かった。
圭季と触れている部分だけ熱を感じた。
あたしたちの間には緊張感が漂っていた。
ちょっとした動きで爆発してしまいそうな危うさ。
その緊張の糸を断ち切る声。
「薫子さまっ」
それまで無表情だった薫子さんに表情が甦った。
あたしはその変化に目を奪われた。
前からきれいな人だとは思っていたけれど、凄みのある美が足されたような気がする。
「あ……っ」
その呟きにびくりと身体が震えた。
さらに圭季の腕に力が加わる。
「わたくし……一言、謝りたくて」
……謝る?
薫子さんが一歩、足を踏み出したことで気がついた。
彼女の足には靴がなかった。
「謝って済む問題ではないと思うけれど……」
そう口にしたところでスーツ姿の男性が複数人、走って現れた。
そしてあたしと圭季の姿を見て青ざめていた。
「たっ、橘さま……っ」
責任者らしき人が圭季のところに走ってきて、土下座でもしそうな勢いで頭を下げてきた。
「もっ、申し訳ございませんっ」
あたしの視線は未だに薫子さんに定まったまま。
「やだっ、待って!」
薫子さんはあらがっていたけれど、複数の男性に身体を担がれ、あたしたちから遠ざかっていった。
角を曲がって姿が見えなくなってもそこから目が離せなかった。
だってまたあの人たちを振り切って戻ってくるかもしれないから。
薫子さんの執念を垣間見て恐ろしくなった。
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