壱 月夜の晩

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「馬鹿なのか、お前は」 良かった、私のついた嘘に男は気付いてない。 私の本当の行き先は絶対にバレてはいけない。 「・・・初めて会った相手を馬鹿呼ばわりですか、お侍様はやはり乱暴な言葉遣いの方が多いのかしら、ふふ」 初めて会った―――そんなの嘘。 この男はきっと覚えていないだろう。 「・・・ふっ」 私をじっと見ながら、笑う男。 本当に失礼だな男、そう思って顔を顰(しか)める。 すると男は私の足元を指差した。 「これを見て、何も思わねえか」 見れば、そこには無残にも心臓を貫かれ即死した浪士の屍。 さっき、私を襲おうとした浪士の一人だった。 「何で、私を襲おうとした奴の死を悲観しなきゃいけないんですか」 淡々とそう告げた私に、男は驚いたように一言付け足した。 「初めて見た、こんな変な女」 その言葉が私の心臓の鼓動を早くさせた。 ――駄目、知られてはいけない。 この胸の内だけは。 男はそれだけ言うと、私に背を向けてまた歩き出す。 「・・・馬鹿な男」 私はただその鮮血に染まった、過ぎ行く浅葱色をじっと見つめているだけだった。 そして独り言のように、男の背中に語りかけた。 「私は生憎(あいにく)そこまでお人よしじゃないの・・・新選組の沖田総司」 そう小さく呟いた私の表情は先程とはまた違う、憎悪に溢れた悲しい瞳だったと思う。 もう見えない男の姿に、ただ胸の奥に長年抱えてきた、憎しみの感情を募らせる。 何も知らない月の光が、京の街を照らし続ける。 その闇を交差する、様々な想い。 悲壮の運命を抱えた二人が出逢った今この瞬間。 泡沫のような儚い時間が交差する。
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