悲劇

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1971年7月30日、全日空58便(ボーイング727-281 機体記号JA8329) は北海道・千歳空港を午後1時33分に離陸した。 58便の定刻は午後12時45分であり、定刻よりも遅れていた。 機長(当時43歳) 副操縦士(当時27歳)、アメリカ人航空機関士(当時31歳)ら操縦乗員3名、客室乗務員4名と乗客155名が58便に搭乗していた。なお、58便機長は陸上自衛隊出身のパイロットであった。乗客のうち122名は 静岡県富士市にあった吉原遺族会の北海道旅行団一行であった。また3人は旅行会社の添乗員であった。58便は函館 NDBにジェットルートJ10Lで向かい 午後1時46分に通過した。この時の飛行高度は22000フィートであった。ここで高度を上昇しながら松島NDBに向けて変針し、札幌管制区管制塔に 「松島NDB通過は午後2時11分の予定」 と通報した。ここから巡航高度を28000フィートに上昇し自動操縦で飛行していた。
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