第九章:姉川の戦塵

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1569年。 この年は織田家にとっては比較的に平和な年となった。史実ではこの年に伊勢平定、但馬攻略などがあったが、前年にこれを達していたため、織田家は畿内の地盤を固めるために内政に勤しんでいた。 この歴史の変化が織田家もとい日の本や松鷹にどう影響するかは誰にも分からなかった。 平穏な織田家とは対照的に東、特に東海道はきな臭いことになってきていた。 徳川家康は前年から半年に渡る篭城戦の末、城兵すべてを助けることを条件に遂に今川氏真が篭る掛川城を攻略。ここに、大名家としての今川家は滅亡した。 家康はまた、武田と相対するために、今川の同盟相手だった北条家と、駿河を取り次第、氏真を領主とすることを条件に同盟を結んだ。 今川攻略という利害の一致から徳川と武田は同盟を結んでいたのだが、武田信玄は駿河を取ると返す手で遠江の徳川にも攻撃を加えた。このことが元となり同盟関係は崩れさり、敵対関係となった。
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