第九章:姉川の戦塵

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しかし、朝倉家の現当主の朝倉義景はいろいろな理由を付け、その上洛命令を拒否していた。 実際に朝倉家は、後背の加賀国の一向一揆衆とは犬猿の仲ではあったが、当時の朝倉家からして、抑えられない程ではなく、上洛出来なくはなかった。 畿内に不穏な空気を漂わせながら、織田家の1569年(永禄12年)は過ぎていった。 明けて、1570年(永禄13年)、2月。信長は上洛命令の最後通牒を朝倉に送った。しかし、朝倉義景はそれを無視。 信長はそれを受け、雪解けと共に朝倉領、越前への侵攻を決定。家臣たちに軍の準備を命じた。 松鷹は後方での兵站管理を命ぜられ、それらの準備の為、屋敷に向かっていた。 「遂に攻めるのですね。去年から不穏な空気が漂っていましたからね…。」 一氏が松鷹の横を歩きながら言った。 「出来れば穏便にと思っていたが…、無理な話だったか…。しかし、それより、心配なのは浅井だ。」 「浅井、ですか?しかし、浅井は大殿の義弟ですから、心配はないように思うのですが…。」
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