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「そこまではね、良かったんですよ。」
遠くから、声が聞こえた。
ラジオから流れてくるように、どこか他人事のように聞いていたし、彼も独り言のように、でも誰かに話しかけているように喋っている。
「これで、僕だけの貴方になってくれるかと、そう、思っていたんですよ?」
ゆらん、と、体が後ろへ。
それから同じ速さで前へ。
「遠くに、自分を知らない場所へ、すなわち、この場所へ来るまでの道中、僕はとても幸せでした。」
ゆらん、ゆらん、同じテンポで、前へ、後ろへ。
「あなたは、負けそうになったら、僕を呼んでくれた。」
そっと、唇に、何かが触れた。
「その度に、僕は貴方に夢中でした。」
ゆらゆらと、揺れていた体は、次第に勢いを失う。
「もう少しだったのに…」
ふ、と、意識が戻ってきた。
すぐ近くで声がした。
薄っすらと目を開ける。
「なのに、貴方は安定しましたね?」
恐ろしいほど、美しい青年がそこに居た。
彼の手が、俺の頬に添えられている。
「…マックス。」
「全部、思い出しましたか?」
出来るなら、忘れていたかった。
「音楽が好きだからって、大手楽器店でバイトを始めたのが間違いでしたね?」
古い洋館?
誰かの寝室のようだ。
その古びた部屋の一角にある揺れ椅子。
そこに俺は座っていた。
座らされていたのかもしれない。
「音楽が好きなのは、貴方だけじゃないのですよ?」
嗚呼…そうだった。
それすら、忘れていた。
「思い出しましたか?」
彼は、ふ、と笑う。
上品に、薄く笑うその姿は、
天使のように無邪気で、
悪魔のように恐ろしい。
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