第一話

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「アズちゃん。」 寛人が、梓の前にやって来た。 「寛人さん、こんにちわ。」 梓は、さして驚いた様子もなく、平然と答えた。 「こんなところで何やってんの?」 寛人の言葉は、間抜けだった。 梓は、キャバクラの客の機嫌を損ねない程度に答えた。 「マネキンをやってます。時給がいいので。」 そう言うと、寛人は驚いた顔をした。 「働き者なんだね。」 寛人は苦労を知らない顔をしている。 それが少し腹が立ったが、寛人は金の束だ。 だから、その感情を押さえ込んだ。 「寛人さんは、どうしてここに?」 そう訊ねると、 「ああ、このデパートの経営者が親父でね、俺は一応肩書きは専務なんだ。」 そう言うと、梓の持っていたウィンナーを手から取ると、口に運んだ。 「うん、おいしいね。」 そう言って、笑顔を見せると、その笑顔がやけに眩しかった。 「アズちゃん、この後は暇?」 寛人の言葉に、梓は首を横に振った。 「夕方は、キャバクラです。」 そう言うと、 「毎日働いているの?」 そう訊ねてきた。 「はい。」 何かを考え込んだ寛人は、少しすると、自分の名刺を梓に手渡した。 「何か困った事があったら、連絡ちょうだい。 もちろん、お店にも行って、アズちゃんを指名するけどね。」 そう言うと、子供のように笑った。 何の悩みもない笑顔を見ると、自分の立場を呪いそうになる。 この人と関わることは、仕事以外ではないだろう。 梓はその時は、そう思っていた。
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