A Different Bomb

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インターネット上を探し回ることで、モニタの前にいる人間が実際の児童性愛の現場を見てしまうことに繋がると警察が考えているのも理解できる。被害をもたらすのは身を隠している者達だと警察は考えているのだ。私の自殺した友人に関して言えば、確かに彼らの意見に同意せざるを得ない。しかし、世界には子ども達が尊重されていない国も多い。ブラジルやロシア、タイは悲惨な児童養護施設の現状やストリート・チルドレンに関する問題でよく知られており、多数のサイトに画像を提供しているのは恐らくそれらの国だ。 ドラッグとアルコール中毒からのリハビリという分野で基金を集める中で、私は幼少期に受けた虐待によって引き起こされた問題を抱えている何百人もの人々に、イギリスやヨーロッパで出会った。全てではないが、その虐待の多くが性的なものだった。たとえごく些細なことであったとしても、様々な理由で、それにより受ける傷は甚大だ。薬物やアルコールの中毒者の全員が犠牲者というわけではない。虐待を受けたという人は少数派なのかもしれない。しかし悲しいことに、中毒に悩む者達にとって虐待は珍しいことではない。一部の例で何より痛ましいのは、いかに簡単に虐待という状態に陥ってしまうかということだ。私について言えば、ほんの小さな事件がいくつかあっただけで私自身の性質に暗い影が形作られた。ありがたいことに、その部分は『トミー』のような作品の上においてのみ現れている。子どもを虐待する者の全てがかつて自分も虐待されていたと統計的に立証されているわけではない。それは確かに起こりうることではあるが、自殺した私の友人の件にも見られるように、多くが大人が大人に対して行使する、力を持つものが恩恵を受けるシステムの一部となるものだ。しかしポルノ業者にとっては金のある相手を探して搾り取るだけの話に過ぎない。確実に言えるのは、インターネットが子どもの性的虐待という事柄を公にしたということだ。どういった社会水準においても、それは決して「まともな」ものでも「容認できる」ものでもない。ただ単に、隠されていたものが明るみに出たというだけに過ぎない。
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