A Different Bomb

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私の過去の作品、特に『トミー』では、私は子どもの登場人物達にとってあまりにも残酷な世界を創り出した。作品を書く時には、私はページの上に生みだされていくものに自分でたじろいでしまうことが度々ある。特に、子ども時代の経験を元に何かを書いた時にはそれが顕著だ。幼い頃に虐待された経験のある人々から、 トミーという登場人物に自分がどれほど共感し たかを伝える手紙を何通も受け取った。しかし私の著作の中で何より力を持ち、時には最も制御やモデル化が難しいのは、私が創作の元としている、“私にもどんなものかよくわからない”要素だ。それは間違っていたものにも大人として理解を示そうという気持ちよりも、友人を虐待した相手に対して何としても復讐してやりたいと願う、私の中の何か不確かなものだ。 私自身は性的虐待を受けた具体的な記憶はないが、子どもの頃に母方の祖母から過剰なほどに支配的で乱暴な扱いを受けていたのは確かだ。だが、特に珍しいことでもない。人によってはそれぐらい大したことないじゃないかと言うだろう。私の知っている人々のほとんど全員が似たような仕打ちを経験しているし、多くの友人がもっと深刻な「虐待」を受けており、だからといって大人になってからの本人に何か明らかな欠陥があるというわけでもないのだから。 児童性愛という事柄に対する現在のマスコミや警察、イギリス政府の姿勢は、まるで魔女狩りそのものだ。それは、確かに自殺した友人のような事件の数々に対する反応としては無理もないことかもしれない。しかし私はむしろ、今までずっと秘密にされてきた世界が実際にどういうものなのか、簡単に見ることができる「自由」を今や私達皆が手に入れてしまったということが、結果的に今のような状況を生み出したのではないかと考えている。その世界とはつまり虐待を伴う児童性愛の世界のことであり、その世界へと「自由」に入っていける窓とは、言うまでもなくインターネットである。
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