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そのおかげかどうかは分からないが、天災は収束し、その家も村八分を解かれた。
しかし、人柱を建てたその土地は農地やその他実用なことには使えない。
祠を建てて、子供を慰めようかという案もあったが、それでは人柱が記憶に残り、子供を生贄にした罪悪感が引き継がれる。
そうして、土地はそのままにされたのだが、曰くつきの土地であり、いつの頃からか穢れた物や忌みごとを捨てる地となった。
シブヤ氏が子供の頃は“ごっち”という人もいたが、シブヤ氏がそのように言うと、罰が当たると親に怒られた。ある程度の年齢になったとき、“ごうち”とは子供のことを意味すると教えられた。
“ごうち”を丁重に管理しなければならないことは、集落の各家に伝えられているはずだが、その謂れは、親の判断によって伝えられたり伝えられなかったりしているようだ。
話したがりとそうでない人がいるように、親がそうでないときは、詳しい話は伝えられない。初めのうちは、祟りなどを恐れて詳細に語り継がれていたのだろうが、それにも限度がある。
だから、土地の持ち主であるカンダ婆さんもこのことを知らなくても不思議ではない。
「俺らも、あそこで死人が立て続けにでているので、たぶん“ごうち”に関係があるのだろうと気を揉んでいた。俺らはもう歳だからいいとしても、そのうち子供や孫に害が及ぶんじゃないかと。自分勝手な考えだが」
「ありがとうございました」
とオオサキ氏が礼を言って、再び話しだす。
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