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「あそこは忌み地なんですよ」
カンダ婆さんはそう話し始めた。まとめると、次のようなことである。
いつの時代かははっきりしないが、かなりの昔からその土地に「不幸な出来事」に関連するもの、「穢れた」ものなどを捨てる(埋める?)ようになった。
それは物質的なものだけではなく、気持ち的なもの、所謂「怨念」や「憎悪」などを代々捨ててきたという。
ただし、カンダ婆さんがカンダ家に嫁にくる頃には、その風習はほとんど廃れており、実際にどのようにやっていたかは分からない。しかし、舅や旦那(亡くなっている)から概要を聞かされており、そこには無闇に入ってはならないこと、また子供を近づけてはならないなどと注意を受けていた。
そして、その土地を「ごうち」と呼んでいた。なぜ「ごうち」と呼ぶのか、またどんな漢字があてはまるのかは分からない。
その土地はカンダ家の所有ではあるが、管理は集落で行っていて、そういったことは集落全体で共有していた。
ただ風習はなくなっても、「ごうち」は集落の主に年寄りたちによって管理されつづけ、その集落一帯が新Q地区となって再開発されるまで行われていた。
もともとカンダ家は集落一の地主であったのだが、農地解放で落ちぶれた。ただし落ちぶれたとはいっても、かなりの土地は残り、バブルと再開発の影響で土地は高騰、しかし土地を手放すことに抵抗していたカンダ婆さんの旦那(カンダ家先代)が亡くなると、カンダ氏は土地を売り、それを元手に事業に手を出した。そのうちバブルも崩壊して、事業もだめになり、今はここにいる。
「ごうち」であるが、そこだけはカンダ婆さんが売却にはかなりの難色を示し、周辺の家々からも売らないでくれと懇願されたので、そこと周辺の一部はわずかな土地ではあるし残した。
「そう言われてみれば」
とカンダ氏も言った。
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