【序章】ノア

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 特筆すべきはむしろその色だった。写真に映る泉は深き森の色と一体化し、ぴたりと静止したかのごときまっすぐな水面は、まるで森をそっくりそのまま映し込んだ鏡のように濃い緑色をしているのである。  この色はなんだ。もしや富栄養化現象による珪藻(けいそう)の大量発生だろうか。ノアは専門的視点よりいくつかの推測をし、写真を見つめる青い目をぐっと細めた。  ただ、ここ最近この地域にかような水たまりができるほどの大雨が降った覚えはない。  仮に最近作られた小規模灌漑(かんがい)だとしても、そもそもこんな森の中に造る意味がどこにあろうか。  また、付近に水源はなく、まさか湧水であろうはずもない。  更に目を凝らして写真を見つめると、泉の中心部にインクを落としたような黒点がベットリとついていることに気付いた。  ドローン自身や通りすがりの鳥の落とす影ではなさそうだ。泉内の水深の差がかような黒点を生み出したか、あるいはヘドロの堆積(たいせき)と仮説を立てて、クラッパー氏の携帯画面を再びじっと覗き込む。  が、ドイツの最高峰であるミュンヘン工科大学で学んだ環境学の知識を持ってしても、不明瞭な画質での写真読解はやはり難しかった。  ノアの学者としての血が騒いだ。ため池は生命の宝庫である。未知の生物と出会えるやもしれぬ。  ノアは早速筆を取り、農林水産省宛に研究のための入森申請をしたためた。  ようやく冬も明けんとする頃、淡水生物の調査名目で、国有地を探索する許可を国より得た。
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